私のNIE徒然アラカルト(26)―綴ることの楽しさを味わいながら―
第26回 ネットの記事から社会を読み解く旅⑩2026年4月~
没後75年、永井隆博士の企画展 長崎純心大学博物館で6月5日まで
朝日新聞デジタル 2026年5月13日 11時30分より
これからの時代、NIEは紙でもデジタルでも置かれている環境や自分の志向・関心によって選んで実践していけばいいのではと考えています。
具体的なネットでの記事からどのような学びができるか私自身の現在の経験を通してアウトプットできればと考えています。
ネットの記事から社会を読み解く旅の第10回は「没後75年、永井隆博士の企画展 長崎純心大学博物館で6月5日まで」です。
没後75年、永井隆博士の企画展 長崎純心大学博物館で6月5日まで
朝日新聞デジタル 2026年5月13日 11時30分
https://www.asahi.com/articles/ASV5D4SMNV5DTOLB007M.html?iref=pc_ss_date_article
私が教師時代初期の頃、学院のシスター方々から永井隆博士の事をよく聞いていました。永井隆氏はカトリック信者だったのです。その事もあり、長崎に行った時に被爆し白血病と闘い晩年を過ごした永井隆博士の病室兼書斎の如己堂(にょこどう)を訪ねました。二畳一間の小さな部屋で『長崎の鐘』『この子を残して』を執筆したそうです。
企画展の記事を通して、永井隆博士のことに関心を持ってい頂ければと思います。
リード文は次のようでした。
原爆で妻を亡くし、自身も重傷を負いながら被爆者を救護した医師の永井隆博士(1908~51)の没後75年を伝える企画展「帰天75年 永井隆博士の生涯」が6月5日まで、純心女子学園が運営する長崎純心大学博物館(長崎市三ツ山町)で開かれている。
永井隆氏の経歴と被爆前と後の行動、純心女子学園とのつながりについて以下のように紹介されています。
博物館によると、永井博士は島根県で生まれ、長崎医科大(現・長崎大医学部)に進学。母親の死をきっかけに、カトリックの教えにひかれ、1934年に洗礼を受けた。医師として働きながら、白血病で余命3年と診断された直後に被爆。妻の緑さんを亡くし、自身も重傷を負いながら救護活動を行った。緑さんは純心で家庭科の教員をしていた時期もあり、娘は純心女子高校に通い、純心女子学園とは縁が深かったという。
企画展の内容については、「企画展では、永井博士の直筆の書や写真など66点を展示。」と冒頭の文章に続き説明があり、「永井隆博士に関する資料が並ぶ会場=長崎市三ツ山町、倉富竜太撮影」のキャプションが付いた展示場の写真が掲載されています。
記事の終わりに、学芸員の田中志乃羽さんの「世界中で戦争や紛争が起こっている。そんな時だからこそ、企画展を通じて永井先生の被爆後の長崎を復興させたいという思いを感じてもらえたら」という話が載っています。
博物館の案内が最後に書かれていました。
無料。平日午前10時~午後4時(土曜は午後2時)、日曜・祝日休館。問い合わせは同博物館(095・846・0102)へ。
永井隆氏の詳しい履歴に関しては以下のサイトが参考になります。ぜひ関心を持って欲しいと思います。
長崎市永井隆記念館
https://nagaitakashi.nagasakipeace.jp/japanese/stories/8.html
