第2回 日本新聞協会『ご存じですか NIE NEWSPAPER IN EUCATION』(1987年発行)を手に取って
私は第1回で、「日本のNIE原点」の時期を1985年から2000年とし、その15年間を「日本新聞協会・新聞各社」の資料と、「私の執筆・発表」の資料から考察していくことを述べました。
日本新聞協会『ご存じですか NIE NEWSPAPER IN EUCATION』(1987年発行)が私の職員室の机上に置かれていたことから、私のNIEは始まりました。
当時、教務主任のシスターが社会科関係の配布物はいつも私の机上に置いて下さっていました。
1981年に初等科の教師になった私は、1年目から「新聞を活用した授業」を行っていました。1981年3年生総合学習の「人間と社会」で公害を考える時、サリドマイド事件の辻典子さんや吉森こずえさんの生きる姿を学ぶために新聞記事を使いました。1983年4年生の社会では当時『朝日新聞』日曜版に連載されていた日本の四季を描く絵「原田泰治の世界」を鑑賞しながら「いろいろな土地のくらし」で活用しました。1984年6年生では当時エチオピアなどのアフリカ飢餓を学習した「アフリカ研究」に活用しました。1985年5年生では国語や社会の学習で新聞の切り抜きを提示して読解しながら学習しました。1986年6年生では社会の「私は迷(?)ニュースキャスター」「衆参ダブル選挙を追う」「緑の地球が危ない」「広告研究」などの学習に取り組んでいました。1987年の6年生社会科では、当時「テレビ朝日」の朝の番組で、朝刊を読み比べるコーナーがあり「ヤジウマ新聞」とタイトルが付いていたと思います。そのコーナーを模倣し「教室でヤジウマ新聞を」という実践を行っていました。
そんな時に眼にしたのが『ご存じですか NIE NEWSPAPER IN EUCATION』でした。私の手元に残っています。当時私のNIE実践・研究のメンターの役割をしていましたので大切に保存していました。ここで、全てのページを提示することはできませんので、冊子に収められていた写真のいくつかをご紹介します。
米国新聞発行者協会が主にNIE計画を実施するため、1961年に新聞社と個人からの拠金を基金として設立したANPA財団主催のNIE会議の様子です。
シカゴ市の5年生・社会科の授業風景。32人のクラスの子どもたちは4人1組向かい合わせで座っており、すべての子どもの机の上には当日のシカゴ・トリビューンが置かれています。
ANPA財団がNIEを実施する新聞社のために準備した「先生用マニュアル」の一部。新聞の教材としての活用法を小・中・高校別、学科別に説明しています。
ヨーロッパ各国でのNIEは米国を参考にしてスタートしました。米国が個別の新聞社を中心にNIEを発展させてきたのに対して、ヨーロッパでは新聞各社が協調し、その国の新聞協会やNIEのための財団を通して教育界との協力体制をつくりあげてきた例が多いです。北欧4か国、イギリス、フランス、西ドイツ(当時)など多くの国でNIEが進められてきたとされています。
日本での実践例も紹介されていますが、私が最も注目したのが、茨城大学附属中学校での授業でした。欧米のNIEのように一人ひとり新聞を丸ごと手にして学習しているのです。このスタイルがNIEの本質だと認識しました。後に分かったのですが、日本でNIEに初めて取り組んだのが茨城新聞社だということもこの写真から頷けます。
この冊子から以下のことが読みとれました。
①NIEの始まりは米国で、欧州の国々でも取り組まれている。
②ANPA財団では毎年NIE会議を主催し、カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・アルゼンチンなどからの参加も見られる。全国規模でのNIE週間を共催している。
③各国の新聞協会や財団、新聞各社が積極的に取り組んできている。
④各国の新聞協会、財団、新聞各社ではNIEの専門性がある人材を配置し、教育界との協力体制を築いている。教 師向けのマニュアルや子ども向けのNIE特集のような紙面を提供している。
⑤新聞の切り抜きではなく新聞を丸ごと教室で活用している。
⑥日本では茨城大学附属中学校での授業がNIEのモデルになる。
この冊子こそ、私が見ることが出来た初めてのNIEの風景でした。そして、この冊子に導かれて私のNIEがスタートしたのでした。いつか外国のNIE会議や教室でのNIE学習風景を経験してみたいという思いに駆られるのでした。