第37回 日本新聞教育文化財団「NIEニュース」第16号(1999年8月)発行
【1頁】
「第4回NIE全国大会 総合的な学習とNIE 初の公開授業も」
7月29日から2日間、大阪市内で第4回NIE全国大会が開かれた。大会には、韓国からの参加者12人を含む552人(教育関係者465人)が参加、過去最大の規模となった。総合学習とNIEをテーマにした今大会は、初めて公開授業が組まれるなど、新学習指導要領を先取りする内容で、教師の関心を集めた。
【2~3頁】
「パネルディスカッション第2部 期待膨らむNIE 総合的な学習で『生きる力』を」
司会
梶田叡一氏 京都ノートルダム女子大学学長
佐伯眞人氏 文部省初等中等教育局視学官
辻井義彦氏 大阪教育大学教育学部附属中学校教諭
鷲見徹也氏 共同通信社編集委員
【4~7頁】
「記念講演 教育と編集感覚」
森 毅氏
京都大学名誉教授・評論家
「分科会」
小学校1「主体的に情報収集し意欲的に活動する子を目指して」
京都市立山王小学校
橋本祥夫教諭
小学校2「四こまマンガで言葉遊び」
明石市立二見北小学校
辻川孝子教諭
中学校 総合学習 「情報処理・活用能力の育成と自ら考え学ぼうとする意欲の向上を」
徳永祥子教諭
中学校 国語「新聞を生かした国語の授業」
大阪教育大学教育学部附属天王寺中学校
中西一彦教諭
中学校 家庭「新聞を題材に家庭科の授業でロールプレイング」
大阪市立野田中学校
藤田恵子教諭
中学校 社会「相互行為による公民的資質の育成」
広島県大野町立大野中学校
三崎達也教諭
高等学校 社会1「教科全体で取り組むNIE―なぜ、今、新聞教材なのか?」
東京都立秋川高等学校
本杉宏志教諭
高等学校 英語「NIEに英字新聞の活用を」
東京都立杉並高等学校
堀内雅子教諭
高等学校 国語「地元紙の投書欄を利用した『国語表現』」
神奈川県白鷗女子高等学校教諭
宮崎安幸教諭
高等学校 社会2「新聞から新聞をつくろう」
大阪府立堺東高等学校
井村身恒教諭
高等学校 商業「明日の社会・明日の暮らしをデザインする」
大阪市立扇町商業高等学校
安東裕二教諭
【8~9頁】
「公開授業」
小学校 社会「住みよい町を考える」
大阪市立真田山小学校 長井博和教諭
中学校 国語「情報を読む」
大阪市立天王寺中学校 植田恭子教諭
高等学校 特別活動「学級崩壊テーマに討論」
大阪府清風高等学校 鎌田隆・立石修一・坂本節也教諭
「ゲスト紹介」
ヤン・ビンセンス・スティーン氏(ノルウェー新聞協会・NIEマネージャー)
東京都世田谷区立武蔵丘小学校訪問
ジェラルド・バン・ダラ・ビーデン氏(オランダNIE財団・教育コンサルタント)
新聞財団関係者とNIEについて意見交換
「今後のNIEについて 全国大会会場のアンケートから」
【10頁】
「高校新聞の教育的効果をめぐり討議 学校新聞指導者研修会」
「第5回NIE全国大会 2000年7月に横浜で開催」
【11頁】
「1999年度NIE実践校92校(第2次)決定」
「わくわくNIE第3号 10月下旬に発行」
各地の動きから
編集デスク
【16頁】
「ニュースパークたより No.2」
6月中旬、横浜情報文化センターの建物内に、ニュースパークの展示物の搬入が終了しました。今回搬入されたのは、「大型重量展示物」と呼ばれる4つの展示資料です。
ⅤBW型超高速オフセット輪転機は1階のアトリウム「情文プラザ」で横浜情報文化センターの」シンボルモニュメントとなり、無線伝送車「エコーⅡ」とマリノニ式輪転機は3階(歴史ゾーン)、ジェット取材機「はやて」は5階(現在ゾーン)にそれぞれ入り、みなさんとお目にかかれるのを待っています。
「大型展示物データ」
取材機「はやて」
VBW型超高速度オフセット輪転機
無線電送機「エコーⅡ」
マリノニ式輪転機(東京機械製)
【15~14頁】
「連載 日本の新聞人 3階・新聞人コーナーから」
3階歴史ゾーン内に設けられる「新聞人コーナー」。ここでは、日本の新聞の発展に大きく貢献し、今日の新聞の基礎を築いた31人の「新聞人」が、パネルや関係資料で来館者に紹介されます。
本紙では、ニュースパークの歴史分野の監修を務めていただいている、春原昭彦上智大学名誉教授に同コーナーに展示される新聞人について記述していただいたものを、今号から連載します。
①伊藤正徳(いとう まさのり)氏
1889(明治22)年10月18日、茨城県水戸市に生まれる。1913(大正2)年慶應義塾大学理財科を卒業して『時事新報』に入社、経済部や政治部、海軍省詰め記者として活躍する。1921(大正10)年ワシントン海軍軍縮会議に派遣され、後藤武男とともに「日英同盟廃棄と四国協定成立」の国際的なスクープを報じて名声を上げた。のち、編集局長、取締役社説部長となり、1933年(昭和8)年退社した。その後は『同盟通信社』参与、「中部日本新聞社」(現在の中日新聞社)編集局長などを歴任する。
1945(昭和20)年、『共同通信社』初代理事長となり、戦後の通信社の復興に努めたほか、1946(昭和21)年、「新聞倫理綱領」の作成に当たり『日本新聞協会』が設立されると初代理事長として、占領下の新聞界の舵取り役を務めた。1950(昭和25)年、再刊された『時事新報』の社長、ついで『産業経済新聞』主幹を勤める。
日本を代表する海軍記者としても有名で「新聞50年史」「連合艦隊の最後」ほか著書も多い。1956(昭和31)年に、長年新聞界に貢献した功績で新聞文化賞、1960(昭和35)年には戦記シリーズにより菊池寛賞を受賞している。1962(昭和32)年4月21日死去。
「各施設の名称決まる」
「収蔵資料2 号外」
「最近の収集資料」
【13~12頁】
「高さ7.3m 横浜情報文化センターのシンボルモニュメントに! VBW型超高速度オフセット輪転機、組み立て、据え付け完了」
この輪転機は、1979(昭和54)年に東京機械製作所から静岡新聞社に納入され、以来17年間、同社で新聞印刷の主力機として活躍しました。1996(平成8)年新鋭機の導入に伴い現役を引退、日本新聞教育文化財団に寄贈されたものです。
「トピックス」
「館のシンボルマーク公募へ」