第39回 日本新聞教育文化財団「NIEニュース」第18号(2000年2月)発行
【1頁】
「総合的な学習の時間に新聞の活用は有益」
国立教育研究所教科教育開発研究室長 工藤文三氏
「NIEガイドブック 中学校[国語]編 高等学校[国語表現]編発行へ」
【2~3頁】
「NIEの意義をあらためて確認 第4回NIE推進協議会事務局長会議開催」
各地域の実践校の推薦方法について意見交換したほか、山内祐平・茨城大学助教授の講演、梅田光男・日本新聞協会広告部長の報告があった。
「情報化の新設・メディアリテラシー・NIE」
茨城大学人文学部助教授 山内祐平氏
「『週刊誌広告』をめぐる最近の動き」
日本新聞協会広告部長 梅田光男氏
「第5回NIE全国大会 7月に横浜で開催」
【4頁】
「全国の元日号が京陽小に集合」
「ブックレビュー 特色ある教育活動の展開のための実践事例集―『総合的な学習の時間』の学習活動の展開(小学校編) 文部省」
【5頁】
「多様な教育活動 各企業・組織で取り組み広がる」
「朝の読書」(株)トーハン
「子どもレポーター」国境なき医師団日本
「ジュニアタイム」キッコーマン(株)
【6頁】
「第5回海外NIE事情視察団 今年はオランダに派遣」
「NIE調査研究委員会 最終報告書刊行へ」
1998年夏に、当財団がNIEに関する教育効果、教育方法論の研究を委嘱したNIE調査委員会(代表=梶田叡一・京都ノートルダム女子大学長)は、近春をめどに最終報告書を刊行する。
【7頁】
「小学館 読み聞かせのビデオとパンフレットを作成」
「NIE実践報告会を開催 香川県NIE推進協議会」
各地の動きから
編集デスクから
【12頁】
「10月12日に開館記念式典 一般公開は翌13日から」
ニュースパーク[日本新聞博物館]と、併設の新聞ライブラリー、NIE全国センターの開館日は、今年10月12日(木)と決まりました。当日は、(財)日本新聞教育文化財団、(財)放送番組センター、横浜市、(財)横浜振興公社の4社主催による横浜情報文化センターの開館記念式典が開かれ、関係者代表によるテープカットが行われます。一般公開は翌日の13日(金)からです。
【11~10頁】
「韓国から建設現場を視察 東亜日報社」
「『新聞配達の現場』撮影スタート」
「マーク・ロゴ募集終了 海外含め4000点以上の応募」
「連載 日本の新聞人 3階・新聞人コーナーから」
上智大学名誉教授 春原昭彦氏
③板倉卓三氏
1879(明治12)年12月9日、広島県庄原村に生まれる。1903‘明治36)年慶應義塾大学部政治科を卒業して同普通部の教員となった。
1907(明治40)年から1910(明治4)年まで欧米に留学、帰国後、大学部教員となり、国際法、政治学を担当する。同時に1905(明治38)年から『時事新報』の社説記者となり、石河幹明を助けて福沢諭吉亡き後の『時事新報』の論壇を支えた。
1923(大正12)に主筆となるが、当時の『時事新報』は軍縮を主張し、シベリア出兵や軍の満州問題に反対の態度を取ったため、陸軍からにらまれていた。1935(昭和19)年退社、1944(昭和19)年慶應義塾大学を辞任、名誉教授となる。
第二次大戦が終わると1946(昭和21)年1月『時事新報』を復刊、社長兼主筆として、戦後の日本の進路について発言するとともに、吉田茂総理を支えた。
1955(昭和30)年、『時事新報』が『産経新聞』に合併すると『産経時事』論説委員長となるが、1960(昭和35)年退社、1963(昭和38)年12月23日に死去した。
1926(大正15)年に「近世国際史論」で法学博士の学位を受け、1951(昭和26)年には日本新聞協会から第1回新聞文化賞を受賞している。
「資料整理作業で収穫 鴨居分室」
【9~8頁】
「秘蔵資料4 スピグラ」
正式名称スピードグラフィック。このカメラの普及のモデルは1912年米・イーストマン・コダック社で開発されましたが、日本で普及したのは47年の米・グラフレックス社製で「スピグラ」の愛称で親しまれました。頑丈なうえ、当時の最新機構を備えた動機は、59年に開発されたニコンF(右ページ参照)など優れた35ミリカメラが出現するまで、戦後20年以以上、日本の報道用カメラの代名詞として大活躍しました。フィルムは、4×5インチ12枚分が重ねられて1パックとなったものが使われました。
新聞博物館は、現在スピグラを2台収蔵しています。今回は、読売新聞社写真部時代の94年にこのうちの1台を寄贈いただいた、畠中英二さんに、スピグラの思い出を語っていただきました。
「最近の収集資料」(受入順)
「今後の予定」