第46回 番外編① 1993年水俣のフィールドワークと授業でお世話になった熊本日日新聞
私の「日本のNIE原点における風景を探る」は1985年~2000年日本新聞協会・新聞社の資料と私の執筆・発表資料から見えてきたものを綴ってきました。今回から2回、番外編として第1回に掲載した新聞協会・新聞社、私の執筆・発表資料からではなく、実践や研究でお世話になった新聞社について書いてみたいと思います。私は実に多くの新聞社の方にお世話頂きました。今回と次回紹介する例はほんのその一部ですが、私にとってはとても貴重な経験でした。
今回は、1993年水俣のフィールドワークと授業でお世話になった熊本日日新聞についてご紹介します。
このことは、私がエッセーとしてnoteに連載している「私立小学校研究所」のNo.2「2021年9月24日 ジョニー・デップ制作・主演映画「MINAMATA-ミナマタ-」から、私にとっての水俣を振り返る」に書いています。
https://note.com/pesri/n/na66c3eda67fc
から引用させて頂きます。
2021年9月23日に公開された水俣の映画を24日に鑑賞しました。水俣を撮影した米国の写真家ユージン・スミス役をジョニー・デップが演じたものです。映画は水俣の事実すべてでできているものではありません。よく映画の冒頭に出てくる「事実に基づいた物語」ということでしょう。しかし、水俣の抱える問題を提起する映画には違いないと思います。
その水俣は私の39年教員生活の中でのフィールドワークで最も印象に残り、最も深く思考させてくれた場所だったのです。公開終了直前にもう一度鑑賞しました。映画に出てきたカメラに関心がある胎児性水俣病の少年がいました。その少年に私は会っているのではないかと思いながら観ていたのです。その後その少年が成長し現在も水俣病を伝える役割を果たしている朝日新聞の記事を読みました。その記事の写真から判断するとやはりお会いしているのではないかと思われるのです。また、映画でもその場面がありましたが、ユージン・スミス氏が水俣で撮影する契機になったのは後で紹介する日本の写真家桑原史成氏が撮影した写真ではないかと思われます。
1993年私立学校の研究、研修を助成する団体である私学研究福祉会の在校研修として水俣をフィールドワークし、授業を実践する研究を行いました。
8月2日(月)~3日(火)熊本市滞在。熊本日日新聞社で、水俣病関連新聞記事の収集。水俣病の発生前後から、最近(当時)まで新聞はどのように報道してきたのか、水俣の地元である熊本日日新聞の紙面をマイクロフイルムやスクラップブックから収集。
水俣病に関連した最初の記事は「猫てんかんで全滅 水俣市茂道部落ねずみの激増に悲鳴」で1954年8月1日の紙面でした。私は1954年7月4日生まれですので、私の誕生のおよそ1か月後に水俣病の初めの兆候が報道されていたのです。およそ26本の記事を収集できました。
8月4日(水)~8日(日)水俣市滞在。水俣病患者、浜元二徳さんに話を聞く。熊本日日新聞社水俣支局記者、毎日新聞水俣支局記者、NHK熊本放送局水俣報道室記者、胎児性水俣病患者などと水俣の歴史と現在の状況を懇談。水俣病被害者の会で、水俣病裁判の経過について話を聞く。水俣病資料館訪問。水俣病歴史考証館訪問。チッソ水俣工場訪問。水俣病治療病院明水園訪問。水俣郊外見学。訪問先については熊本日日新聞水俣支局記者の方に調整をしていただきました。
このフィールドワークの成果を13時間の授業に結実しました。ユージン・スミス氏が撮影した写真集も資料として提示しました。
第1時「公害」ってなに
第2時「猫てんかんで全滅」で表に出た水俣病
第3時 水俣病の原因は「有機水銀」
第4時「見舞金契約」が結ばれる
第5時「胎児性水俣病」「新潟水俣病」の発見
第6時「水俣病裁判」判決までの道
第7時 ビデオ「水俣」を見る
第8時 有明海に「第三の水俣病か?」
第9時「水俣」から世界の水へ
第10時「水俣」は、いま
第11時「日本の公害地図」づくり
第12時 高峰武さん(熊本日日新聞東京支局)にインタビュー 高峰氏は当時水俣病を追求し記事を掲載されていました。東京支局に転勤されていて学院に来てくださいました。後に『水俣病を知っていますか』岩波ブックレット、2016年を出版。
第13時「水俣病」を学習して考えたこと
この水俣フィールドワークと授業をもとに、その後の水俣のようすも含め2000年度から使用の小学校5年社会科教科書で「工業の発達と公害」を執筆しました。その冒頭で掲載されていた胎児性水俣病の患者の写真は教科書会社の編集部で掲載したもので、私はどのような女の子なのか全く知りませんでした。ずっと関心をもってきましたが、やっとその子のことがわかりました。
『朝日新聞』2021年9月24日朝刊の東京版に「水俣病 撮り続けた60年」「桑原史成さん写真展 西麻布・来月16日まで」「映画『MINAMATA』公開に合わせ」という見出しの記事が目に留まりました。10月6日に西麻布のギャラリーを訪ねました。10月15日にも訪ねました。両日とも写真展を観るとともに桑原氏と話をすることができ、教科書に掲載した女の子の写真は桑原氏が撮られたことが分かりました。写真展でも展示され、『桑原史成写真集 水俣事件』藤原書店、2013年。に掲載されていました。表紙にもなっていました。長年の疑問が解けました。
「水俣」(公害)は「広島・長崎」(原爆投下)「福島」(原子力発電事故)ととともに今もその被害が続いていて、これから先も決して忘れてはいけない歴史ではないでしょうか。
参考
映画「MINAMATA-ミナマタ-」公式サイト
水俣病にについて知っておいてほしいこと 水俣病センター相思社
https://www.soshisha.org/jp/about_md/for_child/
拙論「フィールドワークを生かした環境教育の授業づくり-「水俣」を通して-」『私学研修』第135号・136号 財団法人 私学研修福祉会、1994年。所収。